浅草地下街のベトナム料理店「オーセンティック」(台東区浅草1)が2月1日で閉店し、15年の歴史に幕を下ろした。移転先は千葉県松戸市で計画しているという。
もともとはフレンチのシェフだった夫の中塚雅之さんがベトナム料理に携わるようになるきっかけは、妻の麻美子さんだった。「私がベトナム料理好きで『食べに行こう』と誘っても、『全然興味ない』様子だった。ある時、渋谷のエスニック店に連れて行ったら、行列できていて、安くておいしい。そこからじりじりと東南アジア料理に連れて行くようになった」と麻美子さん。
その後、夫婦で訪れたバリ旅行で感銘を受けて、当時働いていた外食企業にバリ料理店の企画書を提出するも、会社からは六本木のベトナム料理店の料理長就任を打診され、素直に受けることにした。当時の日本では、ベトナム料理はさほど広まっておらず、国内で入手できない食材も多くあった。麻美子さんが手配して2人でベトナムへ渡航し、現地のベトナム料理を食べたところ、「ハーブはすごいし、屋台でも手を抜かないし、すごくおいしかった」と麻美子さん。「これを日本でやったらすごいんじゃないか」と雅之さんのスイッチが入った。
7年間のベトナム料理店勤務時代に洋書を買い込んで付箋を貼ったり、年2回ペースで現地のさまざまな地域のベトナム料理の研究を続けた。2007(平成19)年、雅之さんは独立を決意し、杉並区高円寺に約100平方メートルの店を構えた。店名は、創作ではなく現地の料理に「忠実」でありたいという意向から「オーセンティック」と名付けた。「私は10坪くらいでいいと言っていたのに、聞かなくて…。結局、2年で閉めることになった」と麻美子さんは振り返る。
2011(平成23)年に次の物件を探していた際、浅草地下街のタイ料理店モンティーに食事で訪れたところ、向かいにある今の物件に出合った。「不動産業者に電話したらすぐに物件を見せてもらえて、ほぼ即決だった」。オープンしたのは2011(平成23)年3月10日、東日本大震災の前日だった。
地下街は丈夫で地震の被害は大きくなく、グラスが1個落ちた程度。ただ、その後、計画停電や自粛ムードの影響で客が来ず大変だったという。特にモヤシが東京から消え、毎日、モヤシを5、6軒探し回っていたと懐かしむ。
流れが変わったのは同年ゴールデンウイーク明けの頃。ある日、突然、オープン前の店に行列ができていた。並んでいる人に尋ねてもオーセンティックに並んでいると言う。「なんで?」と思って調べたら「食べログ」で全国1位になっていた。「高円寺時代のつながりで有名なブロガーの方が書いてくれたおかげで一気に注目された。そこから取材も殺到して、連日電話が鳴りやまない状態になった」と麻美子さん。
この15年、移転することも検討したり、浅草と松戸の2店舗体制になったりするなど変化を重ねながら、これまで夫妻二人三脚で続けてきた。「誰かに言われたわけじゃないし、必要もないし、求められたかどうかは別として、ベトナム料理を2人で作るために出会ったのかな、みたいな感じはしている。結果的にベトナム料理に行き着いたのも、私が20歳くらいの時に始まった」
「今回、移転を決めた一番の理由は『あと何年できるか』。松戸には松戸の良さがあって、農家が結構近くにいたりする。もう少しゆったりやれるといいなというか、歩いていける所で働きたいな、というのがあって…。それで結局何だかんだ17年ぐらい、ベトナムを通して『大量に買って、大量に仕込みもして…』という生活に喜びを見いだして、そこにお客さまが来てくださって、会話ができて、実際に店のおかげで孤独にならないで済んでいる。」と麻美子さんは話す。
高円寺で始まった「オーセンティック」は、浅草で育まれ、松戸で第3章を迎える。