「浅草流鏑馬」開催迫る-鎌倉武士が馬上から矢を放つ

勇ましい狩装束の射手が馬上から矢を放つ「流鏑馬」

勇ましい狩装束の射手が馬上から矢を放つ「流鏑馬」

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 「浅草流鏑馬(やぶさめ)」が4月19日、隅田公園内の特設馬場(台東区花川戸1、TEL 03-5246-1447)で行われる。

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 江戸時代に浅草神社の正月行事として行われていたものを台東区が1983(昭和58)年に観光行事として復活させた同イベント。今年が32回目となる。会場となる隅田公園には、東武線の鉄橋下から言問橋までの区間に幅約2メートル、長さ約300メートルにわたって白い砂を敷き詰め、特設馬場が設けられる。

 流鏑馬の射手を務めるのは、鎌倉時代の礼法、弓術や弓馬術を今に伝える小笠原流の24人。鎌倉武士の狩装束を身にまとい、疾走する馬上から、一ノ的、二ノ的、三ノ的を次々と弓矢で射抜く。「インヨーィ(陰陽ー射)」と、静まり返った特設馬場に響き渡る射手の掛け声。鎧(よろい)ひた垂、い草を編んだ綾藺(あやい)笠の勇ましい狩装束の射手が、緑のトンネルを駆けぬける馬上から、ヒノキの板でできた54センチ四方の3つの的を次々と射抜いていき、鏑矢(かぶらや)が見事命中すると、的に仕掛けた紙吹雪がパッと飛び散る。

 一方、隅田公園の山谷堀広場(浅草7)では流鏑馬の執行に先立ち、日本古来の伝統行事である草鹿(くさじし)が行われる。草鹿(くさじし)は、約20メートル離れたところから、高さ約1メートル10センチの鹿の形をした皮製の的を目がけて弓を引くもの。烏帽子(えぼし)にひた垂姿の射手が、大勢の見物客が見守る中、ひた垂の片肌を脱いで腕前を競う。草鹿の起源は1194年、源頼朝が富士の裾野で巻き狩りを催した際、家臣がしばしばシカなどの獲物を射損じたので、射術の稽古の方法として、草を束ねてシカの形をつくり、距離を定めて稽古をしたのが始まりといわれている。

 開催時間は、草鹿=11時~、流鏑馬=13時~。有料観覧席は2,000円で、区観光課、浅草文化観光センターで販売。残席があれば当日販売も行う。

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