明治期に日本のラーメン文化の原点となった「浅草來々軒」(台東区浅草3)が7月2日、創業の地・浅草で約80年ぶりに復活オープンした。
來々軒は1910(明治43)年、尾崎貫一さんが浅草新畑町(現・浅草1丁目付近)で創業した中華料理店。中国伝来の「南京そば」をしょうゆ味に改良した「らうめん」を提供し、現在のしょうゆラーメンの原型をつくったとされるほか、天津丼発祥の店としても知られる。当時高級だった中華料理を手頃な価格で提供する「町中華」の先駆けとして、繁忙期には1日3000人が来店するにぎわいを見せたが、戦争の影響で1944(昭和19)年に浅草の店を閉店。戦後は八重洲などに場所を移して営業を続け、1976(昭和51)年にのれんを下ろした。
約30年にわたり同店を調査してきた新横浜ラーメン博物館(横浜市)の企画で2020年、ラーメン店「支那そばや」の運営により同館内に「來々軒」が復活。当初3年限定の予定だったが、好評を受けて5年に延長され、2025年9月に営業を終了した。
今回の浅草での開店を進めたのは、創業者のやしゃご(ひ孫の子)で店主の高橋雄作さん。同館での営業終了を前に「このままでは浅草來々軒の名前がなくなってしまう」と、商品化やイベント出店などの形を模索したが、「動けば動くほど、実店舗が必要だと分かってきた」と振り返る。「祖父も『いつか浅草に店を出したい』と話していた。浅草の歴史にもラーメンの歴史にも登場する店を、世界から注目される浅草の地から正しく発信できたら、一つの店が繁盛する以上の意味があると思った」と話す。
物件探しは難航したが、2025年末、かつて地元で親しまれた中華料理店「太陽」があった現在の場所に出合った。近くには創業者が眠る寺もあり、「ご縁かもしれないと申し込んだら、あれよあれよと決まった」と高橋さん。今年2月に契約してからは、内装工事やレシピ開発に追われる「激動」の準備期間を経てのオープンとなった。初日には92歳の祖父・邦夫さんも来店し、「うまい」と言いながら一杯を味わったという。
看板メニューの「百年醤油(しょうゆ)らうめん」(880円)は、同館の調査や明治期の文献を基に、当時の小麦の系譜を受け継ぐ品種「さとのそら」や創業時から使うヤマサ醤油を用いて再構築した一杯。高橋さんは「來々軒の一番のコンセプトは、高級だった中華料理を安く提供したこと。プライドとして1,000円は切りたかった」と話す。このほか「元祖來々軒天津丼」やシウマイ、自家製ワンタン、店仕込みの杏仁(あんにん)豆腐などもそろえる。
店長は、Xでの募集をきっかけに参画し、同館の店舗で1年間修業した諏訪真香(まなか)さん。「思っていた10倍くらい多くのお客さまに来てもらい、ありがたい。初めてのことばかりだが、皆さんが協力してくれるので、自分が店長というより、みんなで作っている感覚。ずっと続いていけるように頑張りたい」と笑顔を見せる。
高橋さんは「町内会にあいさつに行ったら『出前はやらないのか』『三社(祭)のみこしを担いでくれ』と声をかけてもらった。差し入れをくれる隣近所もあり、温かい街だと感じている。まずは地元の人に愛される店にしたい」と意気込む。
営業時間は、11時~16時、17時~20時(今後、変更もあり)。